私は、三軒茶屋のイタリアンレストランに務めるなど、5年間勤務したのち、2005年、少し遅いですが、30歳でイタリアに渡りました。
目的は、料理を学ぶことはもちろん、
「イタリアの人は、どういう風にスーパーで買い物してるのか」
「イタリアの若者は、どんな遊びをしているのか」
「ダメだったら観光して帰ろう」といった、ラフな気持ちでした。

スタッフが不足してるらしいというのを情報収集して、
お店に飛び込んで「ここで働かせてください」と飛び込むことさえ楽しみながら、1年で2店舗を目標に、海の街ベネチアで4か月、山の街トスカーナで6か月の修業をします。
ベネチアにいたのは夏でしたので、海の香りが心地好かったことを覚えています。
観光客は、昼間からお酒を飲んでいて、運河沿いでビール飲みながら昼寝をしている、空も青く、街の色は鮮やかで、テーマパークのように思えました。
人は優しく、街は昔の下町のような空気感で、近所づきあいがあって、名前を知ってて、顔をみれば「チャオ」と挨拶をする…。
そのような温かさが料理にも伝わるのでしょう、お皿が温かかったのを、今でも鮮明に覚えています。

ナポリで人気の食堂は古めかしい佇まいでしたが、地元の人たちで満員で、行列ができていました。
待たされてイライラしてるお客さんに爆竹を投げたりするのですが、お国柄なんですかね、それで笑いが成立し、場が和むのです。
料理は不格好でしたが、味は美味しく、何よりお客さんがそのお店で食事する事を、心から楽しんでいる空間がそこにはありました。

いわゆる家庭料理が、イタリア料理の原点、
イタリアで生活出来たからこそ、日本では体験できない、本当のイタリア料理を体験できたのです。

もちろん現地でも、イタリア料理との関わり方には様々なスタイルがあります。
ただ、そのお店で感じた、日常の中で何の気兼ねなく地元の人で溢れているその姿が、
私にはとても印象的だったのです。

イタリアで過ごした時間としてはそれほど長くはありませんでしたが、
その中でも肌で感じたイタリア料理というものを皆様にも感じていただけたらと思っております。
menu
introduction
how to fun

私はビリコッティが、皆様にとって日常の中の一部のように思っていただけるお店になっていく事が、現在の最も大きな夢です。

目黒でオープンした理由は、住宅街の中で地域に根ざし、愛されるお店を作りたかったからです。
その地域に住むお客様と、名前で呼び合えるような、お店になっていけばいいかなと思っております。

世代を通して通って頂き、世代を通して愛されるお店を目指し、日々料理をお出ししています。